高齢となった親の免許返納までの道 説得もケンカもした長かった涙の日々その⑤最終話
事故寸前で事なきを得た日。今も思い出すと心臓がバクバクです。
そしてそんなことがあっても車のことになると「やめようvsやめない」のまたケンカ。
「高齢者ドライバー用の安全装置をつけるならあと1年こっちも我慢する」
「いやそんな安全装置なんてものつけない!」
「補助金が出るよ、せめて安全装置つけてよ!」
「金の問題じゃない!」
と話合い(言い合い)は平行線です。
言い合いや重苦しい雰囲気は変わらずの日々が過ぎていました。
そしてそこに誰もが想像しない、いえ、もっと言えば常識がひっくり返るような出来事が世界に起こったのです。
え?こんなことで車をやめる日が来るの?と今でもキツネにつままれたようですが。
それは2020年の1月頃から始まった新型コロナウイルス拡大による世界の大混乱。
緊急事態宣言が出て、多くの店舗、レジャー産業は休業、施設も軒並み閉鎖されて、はては学校も全校休校措置と言う社会的大事件です。
時期がたてば少し収束してくるかと思われたコロナ禍は長く続きます。
2020年夏に開催予定だった東京オリンピックも延期となりました。
この時期に趣味のゴルフや旅行、気の合う仲間との飲み会などがすべてなくなった父は行くところがなくなり、車も運転しなくなっていました。
人と会わず、どこにも行かず、ただ家でテレビを観るだけの毎日。
そんな中、父は認知症の症状を発症したのです。
急な坂道を転がり落ちるように信じられないような記憶障害を起こしていきました。
見当識が著しく悪くなり、時間と曜日の感覚がひどく低下したのです。
高齢者の免許更新のときに行われる認知機能検査はギリギリか?と言うかんじでした。
そして、延々と続く緊急事態宣言と、それにともないさまざまな娯楽の停止とコミュニケーションの遮断。
もうそれは信じられないほどのスピードで明らかに認知症が進んでいきました。
コロナ禍による高齢者の認知症の発症や悪化がよくニュースになっていたのをご存じでしょうか?
人とのコミュニケーションを絶たれた孤独な高齢者となってしまえば認知能力が日々衰えるのは当然かもしれません。
それでも3月にはまだパソコンでエクセルを使って表計算をしたりしていた父。
料理も作れる、自転車も乗れるし電車で出かけて用事を済ませられる。
傍目には認知機能の障害があるようには全く見えません。日常生活にそれほど不自由もなく暮らせていたのです。
またその頃、緊急事態宣言で免許センターの事務手続きも一部を除いて停止していました。
これによって父の免許の更新期限が4月から7月まで、3か月延期されたのです。
ある意味これが幸いしました。
なぜなら更新時期の3月にはまだ少しはしっかりしていた父でしたが、3ヶ月後の6月にはかなり認知機能が低下してしまったからです。
「今日は何曜日?」に始まり
「いま何月?」
「これから夏になるの、冬になるの?」と。
車の運転に運動機能は問題なくても、この記憶力と判断力はマズイ!絶対やめさせよう!と私を強く決心させるには十分な症状でした。
もうケンカになろうが親子の縁を切ろうがどうなっても良い、絶対にやめさせる!!
そして6月に私たち家族には知らせず運転免許センターに更新の手続きへ出かけた父。
やっと免許の更新手続きができると喜び勇んで出かけたであろう父を待っていたのは本人が予想だにしない結果でした。
それは・・・
免許センターでの認知機能検査の結果、医師の診断書がないと免許更新ができないほど記憶・判断の能力がひどく低下していたのです。
「記憶力・判断力が低くなっています」
「医師の診断書を提出していただくお知らせが公安委員会からあります」
「この診断の結果、結果認知症であることが判明した時は、運転免許の取り消し・停止という行政処分の対象となります」
「医師の皆様へ
認知機能検査の結果、認知症の疑いがありますので診断をお願いします。
警視庁 運転免許本部」
A4茶封筒に入った認知機能検査の結果表と、公安委員会に提出するため用の医師からの診断書が渡されました。
要は、認知症の疑いがある人は医師の診断書がないと免許更新の手続きはできませんよということです。
父はそれはそれはショックだったのでしょう。
実は私たち家族には免許更新の手続きに行ったこと、そこで認知機能検査にひっかかって更新できなかったことを黙っていました。
これらの用紙も、しばらくたって私が父の引き出しから偶然見つけたものです。
そして私たち家族に免許を返納したという連絡があったのは1か月ほどたったころでしょうか。
「車はもう廃車にしたよ。買った業者に出してきた。あと運転免許ももうなくなった。」
と、すべて終えた後で知らせてきたのです。
趣味だった車の運転、ドライブ、車で遠出して回るゴルフや温泉、日常の車での買い出し、すべてが父の生活から無くなりました。
どれほどつらかったか。プライドが傷ついたか。人生をもう終えていくんだと感じて寂しくなっただろうと、私は胸が苦しくなりました。
しかし、それよりも安堵感のほうが強かったのは否めません。
これで父が高齢者ドライバーとして車の事故を起こす心配と不安の毎日から解放されるんだ!
安心のあまり、膝からへなへなと座り込んで嬉しさと、その一方で父がかわいそうだという気持ちの複雑な涙があふれてきます。
その後、相変わらず収まることのないコロナ禍が2021年になっても続いています。
延期された東京オリンピック2020は1年後の2021年7月から開催されましたが無観客。
人とのコミュニケーションは少なくなり、生活から車がなくなり、と単調で孤独な生活を強いられた父。
そんな状況ですから認知機能もやはり徐々に低下しています。
ですが自転車には乗れる、これで少しは自分で生活の行動範囲を広げられる、と廃車した車の代わりに自転車を新調しました。
なかなか自転車生活も運動代わりになり、認知機能の低下予防になり良いのですが、今でも
「車がある頃はさぁ」
「そこは車があればすぐいけるんだけどなー」
と車の運転をして自由自在に動き回れた楽しい日々を思い出し寂しそうな様子を見せます。
高齢となった親との数年に及ぶ運転をやめるvsやめない!の戦い。
こんなことであっけなくフィナーレとなりました。
しかし、これほどの強制力が働かないと家族から高齢ドライバーとなった親の運転をやめさせるのは不可能だったかもしれません。
もっと社会的に高齢者の免許返納時期やその後のケアなどの仕組みが作られて、この悩みを持つ家族が平穏に暮らせることを願います。
長いストーリーをお読みいただきありがとうございました。ご参考になれば幸いです。